漫画『私が見た未来 完全版』が再び注目を浴びている理由——それは「2025年7月、巨大地震が発生する」という衝撃的な予言にあります。作者・たつき諒さんが実体験した数々の“予知夢”が描かれ、その的中率は一部で語り草となっています。果たして彼女の“未来予知”は本物なのでしょうか?本記事では、実際に的中したとされる予言と、7.5大地震説の真相について詳しく解説します。
たつき諒(竜樹諒)は1954年生まれ、横浜市出身の漫画家。デビューは1975年、『月刊プリンセス』掲載の『郷ひろみ物語』でした。1978年頃から自分の見る夢を記録し始め、1985年からは本格的に「夢日記」をつけています。
最大の転機となったのは1999年、雑誌で発表した短編集『私が見た未来』が単行本化。この本に「予知夢」として描かれた災害や出来事が現実になったことで、一気に伝説化します。
1992年8月31日、たつき諒さんは夢の中で、ダイアナ元妃が子供を抱いている姿を目撃します。その光景はどこか神秘的で印象的であり、強く記憶に残りました。当時は特に大きな意味を感じなかったものの、その夢が現実にリンクするのは5年後のこと。
1997年8月31日、ダイアナ元妃がパリで自動車事故に遭い、命を落としました。夢に現れたイメージの通り、事件の経緯も非常に衝撃的で、車は制御を失い街灯に激突。ダイアナ元妃は重体のまま搬送され、帰らぬ人となりました。たつき諒さんにとっても、夢の出来事と現実の一致に大きな衝撃を受けた出来事の一つだと語っています。
たつき諒さんは1976年11月24日、イギリスの伝説的ロックバンド・クイーンのリードシンガーであるフレディ・マーキュリーが「感染症で亡くなった」というニュースを見る夢を体験します。さらに1986年11月28日には、再びクイーンの夢を見ましたが、その中でリードシンガーのフレディは姿を消し、ブロンズ像に変わっていたのだそうです。この夢の不思議なリアリティも鮮明に記憶していたといいます。
そして、夢から15年後の1991年11月24日、フレディ・マーキュリーは実際にエイズによる合併症で亡くなりました。その死後、スイス・モントルーのジュネーブ湖畔には彼のブロンズ像も建立されています。見る者を驚かせるほど現実とリンクした夢として印象的です。
1982年4月25日、たつき諒さんは当時はまだ名前も知らない日本人の若いロックシンガーが亡くなる夢を見ました。その後、尾崎豊が「十五の夜」などのヒット曲でブレイクし始めますが、夢で見た人物が尾崎豊本人だったことに気づいたのはさらに後のことでした。
夢からちょうど10年後の1992年4月25日、実際に尾崎豊は26歳の若さで亡くなってしまいます。彼の死因については謎が多く、「薬物の過剰摂取による肺水腫」と公式発表されるも、自殺説や他殺説も根強いまま。たつき諒さんにとっても、夢と本人の死が重なる衝撃的な体験となりました。
この夢が起こったのは1989年8月27日のことです。夢の中でたつき諒さんはある洞窟に入り、水色のドレスを着た裸足の少女が亡くなっているシーンを目撃します。その場面があまりにリアルで、不安な気持ちが残ったといいます。1年後の1990年8月27日、彼女が何気なく公園で過ごしていたとき、夢で見た洞窟の風景とそっくりなものに遭遇します。
その日のうちに報道で「水色のドレスを着た少女が洞窟で亡くなっていた」というニュースを知り、思わず驚愕。夢の内容が、日時も状況も一致していたことから、たつき諒さん自身も戸惑いとともに強い印象として心に残ったと語っています。この夢は、その後も語り継がれるエピソードの一つです。
1996年3月11日、たつき諒さんは“どこだか分からない場所”で、突然激しい地震と巨大な津波が発生する夢を見ます。夢の中で彼女は半袖と短パン姿で、季節が春とは異なる印象を持ったとのこと。夢で見た津波は想像を絶するほど高く、恐怖を感じたそうです。
それから15年後、2011年3月11日、現実に東日本大震災(マグニチュード9.0)が発生。日本全土を揺るがし、記録的な被害と津波をもたらします。ただし、たつき諒さんは自著で「あの大地震と自分の夢は完全には一致しないかもしれない」とも述べています。というのも、夢の津波の高さは311地震の比ではなく、さらに夏の出来事だったという点、そして夢の中の“もう一つの夢”という背景もありました。そのため、この夢が本当に311地震の予知だったのか、それとも今後起こるべき別の巨大地震の予兆だったのかは分からない、と自身でも考察しています。
1995年1月2日、たつき諒さんは夢の中で神戸地域が甚大な被害を受けるイメージを体験します。夢の中で感じた緊張感や恐怖が記憶に刻まれました。それからわずか15日後、1995年1月17日、実際に神戸を中心にマグニチュード7.3の大地震(阪神淡路大震災)が発生。日本最大級の大都市で激震が起こり、6000人以上が命を落とす大災害となりました。この予知夢の鮮明さと、その短期間で現実となった出来事は、夢日記の中でも最も現実に近い・印象深いといえる一幕です。
こちらの予知夢は阪神大震災の夢と同じ日、1995年1月2日に起こったとされています。たつき諒さんはこのとき、「2020年に新たなウイルスが現れ、同年4月に日本でそのピークを迎え、10年後には再び流行する」という夢を見ました。
2020年の新型コロナウイルス(COVID-19)の世界的蔓延により、この夢は「的中したのでは」と大きな話題を呼びます。さらに「10年後の再流行」―つまり2030年頃に再び世界的な感染症の脅威が現れるという予測となり、まだその真偽は分かりません。しかし、半分はすでに現実化したと言われています。
この夢も1995年1月2日に彼女が見たもの。内容は、「自身が執筆をやめて漫画家を引退する」というものでした。実際にたつき諒さんは漫画単行本を刊行した翌年、2000年に執筆活動を中止しています。誰よりも自分自身の人生に直接関わる夢の“的中”です。
1991年8月20日、たつき諒さんは富士山の山頂から黒煙が立ち上る情景、その後に轟音と共に火山が爆発し、マグマが噴き出す光景を夢で見ました。これはまさに富士山噴火を連想させるもので、夢のインパクトも大きかったそうです。実際には現在まで富士山の大規模噴火は発生していませんが、2020年には富士山周辺の地震活動や火口の異変に関する報道もあり、「いずれ予知夢が現実化するのでは」と注目される一幕です。
1981年6月〜9月、たつき諒さんは神奈川県横浜市で大きな津波が押し寄せる夢を続けて何度か見ます。しかし、その15年後(1996年)、さらに15年経った2011年にも現実化せずに経過。もしこの夢が本当に的中するなら、次に「15年後」と考えると2026年が該当し、「今後も注意が必要」と本人も述べています。“予言の時期”について今も語り継がれている夢です。
たつき諒さんの漫画の人気が高まるなか、「2025年7月5日 午前5時」という日時を指定する衝撃的な夢が話題となります。それは日本と台湾、香港、フィリピン間の広大な海域で、巨大な爆発によって海底が割け、海から大量のマグマが噴き出し、その結果として何百メートルもの巨大津波が発生。やがて津波が陸地に襲いかかり、日本をはじめとした各地で甚大な災害となる――というものです。
2021年7月5日に再びこの夢を見た際には、日本沖で泡が発生し、太平洋側に現れた二体の龍がその泡に近づいていく様子も印象に残ったと述べています。大地震と津波の後、海底から隆起して新たな陸地が姿を現し、日本、台湾、香港、フィリピンの陸地が繋がる場面まで映ったといいます。また、「自分の葬儀もそのタイミングで行われた」という漠然とした印象を夢から受け取っており、自らもその大災害の犠牲となるかもしれないという不思議な予感も表現しました。
未来予知は多くの人にインパクトと不安を与えますが、たつき諒さん自身「なぜ夢が現実になるのか自分でも分からない」とコメント。予知夢やスピリチュアルな現象は科学的に説明が難しく、個人の体験であることも事実です。
予言を鵜呑みにせず、自分や大切な人を守るための行動(防災・備蓄など)を心掛けましょう。
興味深いエピソードとして楽しみつつ、冷静な視点も忘れないようにしてください。